2015年8月10日月曜日

同じことを繰りかえすこと

 プログラマー兼エッセイストとして有名な清水亮氏の本に、
「プログラマーにスポーツの趣味を持つ人間は少ない。
 スポーツは同じことを何度も繰り返す。要するにトレーニングだ。
 むしろトレーニングを退屈だと思うから、プログラマーという生き方を選んだのかもしれない。」
 という文章があった。
 プログラミングのようなデジタルの世界は、アルゴリズムとか手順の工夫によって数百倍、数千倍の生産性の差が出てくる。それに対して、人間のフィジカルな能力というものはせいぜい数倍である。100メートル走をそれなりにトレーニングしている人なら13秒台ぐらいなら走れると思うが、ウサイン・ボルトでも9秒中盤ということは、30%程度しか変わらない。
 不思議なことに、その「僅かな」差が確実に人間にとっての感動を生む。その僅かな差を積み上げるのは、清水亮氏が指摘するようにほとんど繰り返しにみえる日々のトレーニングである。
 実はほとんど毎日同じようにみえるトレーニングは非常に低利率の複利である。いっときWeb上で流行した画像に1%の向上を日々積み重ねた結果と、1%の後退が積み重なった結果についての式がある。つまり

1.01^365 = 37.78...
0.99^365 = 0.025…
注:^はべき乗

1%の向上を複利で365回実現できれば、元の37倍にも達し、1%の後退が365回続けば2%ほどしか元のパフォーマンスは残らない。

 実際の身体はもっと緩やかな動きをするし、一部で向上し一部で後退するものだから、上のように単純ではない。30%で世界レベルと市民レベルが分かれることを考えると、1%の前進・後退はとてつもなく大きなオーダーであり、実際には0.1%の世界で進捗が計測される。さらに、いっとき全く停滞しているようにみえても実際には向上があり、ある時に急に進歩があるようにみえることもある。
 かようにして、身体運動において一流と平凡なパフォーマンスを分けているものは、無数のディテイルの集まりであり、イギリスナショナルチームやTeam Skyなどはその考え方を全面に押し出して marginal gain (僅かな進歩)という名前をつけた。
 コンセプトに名前がつくと、人間はすぐに頭に浮かぶようになるし、行動が意識的になる。現代のスポーツではそういうビジネスにおけるクリエイティビティのようなものも要求されている。
 日本でも、製造業においてトヨタの「カイゼン」が国際的に認知されるコンセプトになったように、スポーツからも有効な概念を発信できるようになれば面白いと思う。