2016年7月29日金曜日

グアドループは果てしなく遠い or Tour de Guadelope before race

フランスには本土以外にいくつか海外県というものがあって、帝国主義時代の名残を留めている。散々広げてきたかつての領土と人の流れが21世紀になって誰にも想像していなかったような形で近年爆発(ニース・パリ・シャルリー。。。)していると極東の島国からみるといささか「大変だなあ」という感じも覚えなくもない。そのへんを本土のエスタブリッシュメントの人たちはどう考えているのか、興味があるが、自転車の業界の人間は良きにつけ、悪しきにつけ、「現実主義者」であり、肩をすくめるだけだろう。

ちなみに海外県は東カリブ海にいくつか(グアドループ・マルティニック等)、ギアナ、マダガスカル周辺(レユニオン、マヨット)、そして南太平洋(ビキニ環礁など)がある。グアドループの人口は40万人ほどで、面積は香川県ぐらい。砂糖とバナナと観光業でなりたっていて、飛び地の島の例に漏れず多大な補助金(from EU/France)とそれにまつわる政治的なひずみの臭いがぷんぷんする。しかしあくまで海は青く、野は緑である。

交通はフランス本土のパリ・オルリー空港からコルスエアーなる聞き慣れない航空会社でル・レゼ空港まで8時間ぐらい。われらがフランス中南部に位置するクレルモン・フェランを朝6時前に出発して、昼前にオルリーまで到着した。

シャルル・ド・ゴールではしょっちゅう乗ったり降りたりしているが、オルリー空港を使うのは初めてである。とりえあえずの印象は、ろくでもない車の動線設計と、現代アートの壁面、トイレがまるごと1フロアに存在しない空港内である。

空港正面玄関付近、荷降ろしのところの車の列が30分オーバーはあろうかという列になり、これでは飛行機に乗れないと判断した僕らは、玄関から50メートルほど離れた道が分離するところの島に無理やりバンをつけ、自転車14台プラス引っ越しできそうな荷物をいったん出してそこから空港内に人海戦術で運ぶという荒行にでた。輪行バッグはホイールやら補給食やらでパンパンであり。むやみに重い。

それをこなすとどうにかコルスエアーのカウンターに並び、すさまじい荷物の量にカウンターの善男善女の職員に引かれながらも、タフに荷物を預けていく。1人荷物1個と自転車1台までが規定らしいのだが、はるかにオーバーしている。これはすさまじい超過料金になりそうだ。

監督がこれまたタフにコルスエアーのカウンターで超過料金の交渉を続けている間、朝から何も食べていないのでブリオッシュドレーでサンドイッチをぱくつき、トイレを探すが。。。ない。フロアまるごとない。防犯のためだろうか?モロッコ便などが他には入っているオルリーだが、ひどくごったがえしていて、整った感じの(しかしやはり不便な)シャルル・ド・ゴール空港とはずいぶん雰囲気が違った。

どうにか荷物預けをやりすごし、すでにやりきった感を腹に感じる。おまけで荷物検査にてコンピュータなどの周辺機器をまとめているバッグが精査され、ただでさえ遅れ気味だった搭乗時間にまったくもって間にあわなくなる。やれやれ。

名前をアナウンスで呼ばれながら小走りに機内に転がり込んだが、結局空港滑走路の混雑から、なんと1時間半遅れで飛び立ったのですべては帳消しになった。機内への誘導は普通に行われたので、早々と到着していた人たちは悲劇である。

機内では特に何もする気がなく、反応する気配のないタッチスクリーン式のディスプレイにも匙を投げ(半分を過ぎたところで、チームメイトのダミアン・モニエに爪で押すとよく反応すると教えてもらった)、本を1冊キンドルで読みきってしまう。

到着して荷物のターンテーブルでは早速現地メディア(多分NHK的立ち位置の公共放送の人たち)がやってきて、トマやその他のチームの選手をテレビインタビューしたりしている。島の歓迎ムードが感じられる。

バスに揺られて1時間ほどしてこれから11日間のホテル・ロタバに到着する。到着するなり僕らのバスがビーチからメインの道までの小路を塞いで、ビーチから家路やホテルに帰ろうとする車を完全に塞いでしまい、運転手とビーチから帰る人が喧嘩を始める(クレオール語、フランス人もわからないとのこと)僕らはもわっと湿気を含む暑さの中、黙々と再び大量の輪行袋をホテルに運びこむ。実はここ、一泊1万円近くするそこそこに高級なリゾートビーチホテルであるようだ。だが僕らの印象はシャワーその他の水がちょろちょろしか出ずに身体も洗えないという一点に集約される。美点はよくエアコンが効くこと。夕方はデング熱をもっているかもしれない大量の蚊に注意。(WiFiは弱い)

とりあえず初日はグアドループは遠いという事実を確認した。明日以降に期待しよう。僕らのツールは始まったばかりである。